No Music No Rice?

そういやガキのころ雨上がりの公園で一人黙々と溝掘っては水たまりと水たまり繋げて遊んどったなぁ、あの「開通!」の瞬間楽しかったよなぁと、30年後にやはり一人黙々と田植え機を走らせながらふと思い出した。

レゴもプラレールも一人で好きなように組み立てて、完成したらこれがこうでな、ほんでこことここがな…とおかんにべらべら報告。

ゲームも友達とバトるよりシミュレーション系の方が好きやったし、ようするに今はそれらが畑と田んぼとコーヒー豆になり、そして聞いてもらう相手が母から妻に(ホンマすんまへん)代わっただけで、やりたいことと脳の回路はたいして進歩してへんよなぁと、えぇ歳こいて我ながらちょっと可笑しくなった。

精神的に独りじゃなければ、基本的には一人がいい。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、百姓という名の盛大な泥んこ遊びはいまのところ飽きる気配がまったくない。

 

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「これもうお金いらないんで、かわりにコメ作ってみてもいいっすか?」

草刈りを頼まれていた休耕田にてノリと勢いで始めた稲作も、すっかりハマって今年で6年目。

イノシシに荒らされーの台風にぶっ倒されーのでまぁ毎年ひーひー言わせてもろとるけども、俺は好きなんだわ、しんどいのが。

なんせ四反六畝約1300坪をいまだに手押しの耕運機と一輪田植え機だけで仕上げて、収穫も一条刈りバインダーからの竹切ってきて1.5トンはざ掛け天日干しやからね。

アホである。

でもえぇねん、俺はそのやり方が好きやから。

ほんでいちばんはなんと言っても、お客さんからの「おいしかった」の一言ですわ。

もうそれだけでご飯3杯もとい田んぼ3枚いけちゃいますわ。

コーヒー豆とコメっていうきわめて日常的なもん売って生きとるおかげでコロナの影響もさほどなく、世が浮こうが沈もうが関係ないやつが最強!と昔から思っとる俺としては、成り行きのわりに近ごろなかなかえぇ線いっとる気がする。

金髪やし目つき悪いしデスとかファックとかうるさいけど、めっちゃ美味しいコメ作れる男。

ヤバいなぁ、マジそこ目指していきたいなぁ。

燃費もクソもないような外車ころがす連中が、エコだのオーガニックだのとほざくこのご時世。

俺たちに必要なのは、化学でも農薬でもなく、音楽だ。