須磨の風になって
須磨の風になって
去年の12月、父方のじいちゃんが永眠した。
94歳大大大往生、「朝メシできたで~」と叔父が起こしに行ったらいつも通りの寝相と寝顔のまま息を引き取ってはったとのことで、まぁなんちゅう文字通りの永眠、じいちゃんおつかれ!と生涯を祝うようなテンションで明るく葬式に行ってきた。
誤嚥性肺炎でこのままあかんかも…ってとこから「家に帰りたい」の一心で持ち直して、ほんで最期はなんとも安らかに逝ったわけやから、あっぱれ加納の生命力。
孫は勝手に誇りに思っとるで。
そんなタフガイ加納甲三氏の生前は、神社仏閣専門の大工職人。
俗に言う宮大工ってやつで、関西に本拠を置きながら西日本のかなり広いエリアをあっちへこっちへ飛び回っとったらしい。
その息子である俺の親父は経営コンサルタントで、母方のじいちゃんは百貨店勤めの絵描き。
その娘である俺のおかんは洋裁の先生でってなんかもう手に職つけ放題でいろんな血ぃをありがとう笑
会社辞めてきたわっておかんにゆーた時の「え、あんたサラリーマン何年やったん?」「4年半」「うん、よく持った方やと思う」という感想は、DNA由来のものやったのね。
俺もそう思う。
四十九日も済んだので、遅めの初詣がてら福田の葺田八幡まで行ってきた。
なんでわざわざ福田かっつーと、昔じいちゃんが宮大工として屋根の修繕や社務所の建て替えに携わっとったから。
「ほんで耕介次はどこ住むんや?」「小豆島」「ほう、小豆島ゆーたらワシも仕事で行ったわ」「え、そうなん!」って流れでそれがわかって、以来そこは俺にとってちょっとした場所やった。
たまたまやけど福田港はじいちゃんの家がある須磨浦公園の方角に真っすぐ向いとるし、なんとも不思議な縁ですなぁ。
命日には帰れずとも、ここで手を合わせ、そしてここから手を振ろう。
にしても世の中にはホンマにいろんな人がおっていろんな仕事があって、誰とどこでどう繋がるかなんて想像できんから面白い。
ウチのちっちゃい店にもいろーんなお客さんが来てくれて、おかげさんでもうすぐ丸5年。
さて6年目はどんな出会いがあり、2024年はどんな一年になるやろか。
木原食堂でしょうが焼き定食を平らげ、無駄に北回りで島を一周して帰った。
ほなじいちゃん、また来るわ。